畑から(畑の露地裏)   8

’03.01.01
 

 新年を迎えました。早いもので、3年目の計画をあれこれ考えています。

 この2年間に、笠間クラインガルテンのあり方や将来について各方面の方々と話をする機会がありました。年頭に当たり、私なりの考えを少し述べさせていただきます。

 まず、クラインガルテンを語るとき、よくこんな言葉を耳にします。それは「ヨーロッパ型」、「日本型」という分け方。分け方の根拠は、おもに土地管理が“ガーデニング”なのか“野菜つくり”なのかということのようです。しかし、あまり明確に線引きできるものではありません。

 そこで、私の考えるクラインガルテンの目的を述べます。やはりそれは市民農園にあると思います。現在のご利用いただいている方の多くは、一都六県からお見えになります。野菜を栽培する場合、どうしてもコマメな管理が要求されます。タネや苗を植えて放置しておいては収穫できません。栽培に限らず何事も途中のプロセスが大事であります。結果は後から付いてくるものです。その通園距離であれば野菜つくり(管理)は十分可能であります。それが2年間多くの利用者(初心者)に栽培指導を行った私の結論です。

 たとえば、イチゴやリンゴを摘み取ることは、きっかけになる事で終わってしまいます。その途中を端折っては、“農”をより深く体験することにはなりません。畑に蒔いた小さなタネが日に日に大きくなることを見ることは、収穫すること以上に意義のあることだと思います。きのう植えた苗が、目の前で虫に食べ尽くされる様を見届けることこそが、より深い体験として伝わることだと思います。すべての人がこの体験をすることは不可能でしょうが、私自身、より多くの方に経験していただけるような活動の一端を担えれば幸いだと思っています。

 さらにここから派生して、たべものに係る田舎生活の多くに興味関心が広がり、グリーンツーリズムへと発展するものと思うのです。裾野を広げれば、衣食住のすべてについてどれほど再発見されることがあるかわかりません。現在ではそれらを直接生業にはできないまでも、体験することは可能です。残念ながらこの田舎にも、生活の都市化に伴い失われる価値(文化)が山ほどあります。茅葺屋根の下で糸を紡ぎ、囲炉裏を囲みながら野山の幸を肴に杯を傾ける。忘れられようとしている多くのことがあるのです。これらを遊び心の中に体験できるならこんな素晴らしいことはない。できることならそれらを都市生活者から見直し多くの価値あるもの(文化)を見出して欲しいと思って止まないのです。

 これが元手をかけない私の考えるクラインガルテンであります。当然、地域によって中身は異なります。それでいいのではないでしょうか。笠間はここ独自の色を出すことに価値があるものと考えます。これは私見にすぎませんが、そんな思いに基づいて考えるとやるべきこととそうでないことが、容易に取捨選択されるでしょう。体験といっても単に漬物や味噌を作るのではありません。ただ体験するのであれば都会でも可能です。どこの町にも体験教室がありますから。しかしせっかく自分で畑を作るのですから、安い輸入米を使った糀を使わず、遺伝子組み替え大豆が混入している可能性がある大豆を買わずに、手前味噌を作っていただきたい。そこにどんな工夫があり英知があるのか再認識する機会が必ずあるはずです。それによりとかく頭の中だけで議論されがちなたべものの問題もより実現味のある糸口が見出せることと確信しています。そこに日を当てて笠間の独自性ある文化を再創出させられればと願っています。

 新春は名のみのことで、畑の土はまだまだ硬く凍っています。でもここに野菜とクラインガルテンのタネが蒔かれていると思っています。

 さあ、春作の準備です。ここ笠間クラインガルテンでは、3月の彼岸前にジャガイモを植えます。一年間の畑のレイアウトを考えてください。そうそう、連作障害対策も忘れずに。